須磨寺のお大師さんの参道にある屋台はいつから開始したの?
須磨寺のお大師さんの縁日(毎月20日と21日)に参道に屋台が出店し、大勢の人で賑わうようになったのは、江戸時代頃からだと推測されます。
正確な開始時期の記録はありませんが、須磨寺の歴史的な背景や、日本の寺社における縁日の文化から、その時期を考えることができます。
屋台の歴史的背景
1. 江戸時代からの庶民信仰の隆盛
須磨寺が「須磨のお大師さん」として広く親しまれ、弘法大師信仰の中心地となったのは、主に江戸時代です。
- 巡礼と娯楽の融合: 当時、高野山へ行けない人々にとって、身近な須磨寺は弘法大師の「ご縁日(20日・21日)」に参拝する格好の場所となりました。
- 賑わいの記録: 江戸時代の絵図などには、須磨寺の境内に多くの参詣者が描かれており、すでにこの頃にはお参りと合わせて門前や参道が賑わう様子が確認できます。人々が集まる場所には、物売りや茶屋が自然と集まり、これが現代の屋台の起源となっていきました。
2. 源平ゆかりの寺としての魅力
須磨寺は源平合戦の悲劇の舞台としても有名です。
- 大規模な集客: 特に1733年(享保18年)には、平敦盛の550回忌の御開帳に合わせて、境内に10軒もの芝居小屋やからくり小屋、門前には茶屋や料理屋が立ち並んだという記録が残っています。
- 商業化の始まり: この記録からも、江戸時代にはすでに須磨寺の参道や門前が、信仰だけでなく、大規模な娯楽・商業の場として非常に賑わっていたことがわかります。
結論
したがって、須磨寺の縁日に屋台が並び始めたのは、弘法大師信仰が地域に定着し、源平ゆかりの寺としての魅力も相まって参拝者が爆発的に増加した、江戸時代中期〜後期にかけてと見て間違いないでしょう。

